Little AngelPretty devil 〜ルイヒル年の差パラレル・番外編

    日向ぼっこ
 



 外海の向こうの遥か彼方、西洋の方では後にこう呼ばれるのが“獅子のようにやって来て、兎のように去ってゆく”月。それが三月、弥生のことだそうで。雛の祭りにお水取り、そんなこんなが終わってしまえば、日を追うごとにどんどんと、陽射しも力を増して来て。空の青もそれは濃くなり、幼き緑の気配も眸に見え、春めくとはこういうことかとしみじみ感じられ。梅は咲いたか、桜はまだか、そんな先走りに華やいでしまう晴天が続くかと思われた端から、今度は曇天や雨が続いたりもし。せっかく浮き立った心に水を差されの、節句のついでに出してみた春の装い、片付けかけてた冬の装備。やはりまだ早かったのかしら、でもでも…と焦らされるのがこの頃合い。
“どんなに春めいても、お水はまだまだ冷たいんですよね。”
 こればっかりは、その日その日のお陽様次第で変わるものじゃあない、ホントに暖かになったればこそ ぬるむものですよと、賄い方のおばさまに言われて。ああそっかと何度も頷いた素直な和子。まとまりは少ぉし悪いが、柔らかにふわふかな黒髪を、時折吹き来る南寄りの風に揺らしながら、ほてほてと。小さな書生の少年が、渡殿を通って向かったは、主人が常の居処にしている広間の方で。庫裏でのお手伝いも終わったのでと、何か御用はありませんかとお伺いに来たのだが、
「…あ。」
 広間の周囲、御簾の外側へと巡らされた回り廻廊の一角。庭に向いた濡れ縁の側を見通せる角を回ったところで、見慣れた人が腰掛けているのが視野に入った。濃色の筒裾、狩袴をはいた脚を崩してゆったりと、陽を取り込もうとしてか、そこだけ御簾をからげた間口の濡れ縁に腰を下ろしてらしたのは。椿油で揃えし つややかな黒髪を陽に暖めた、葉柱という名の若者で。セナが咒やお勉強を教わっている、陰陽道のお師匠様にして、このあばら家屋敷のうら若き主人でもあるお館様に直接仕えし、それは頼もしき侍従の方で、ここだけの話、実は蜥蜴の権門の総帥でもある不思議な御方。
「よお。」
 大きなお手々を上げてくださる、本日今日の装いは、さほどまで派手でもない深色襲
かさねの狩衣姿であったれど。お寒い時の袷あわせも映える、その大柄な肢体と四肢は、隆とした雄々しき筋骨にして頼もしく。切れのある身ごなしと立ち居振る舞い、どれを取っても充実しておいでで、しかもしかも。こうしておいでの存在感は重厚沈着。深みのあるお声も低く響いて味のある、どこから見ても立派で雄々しいばかりの、妙齢のご婦人でなくとも惚れ惚れしそうな偉丈夫なのに。勿論、そんな外見の拵こしらえのみならず、闇の刀を縦横無尽に操りて、人に災いを成す邪妖の成敗にも辣腕を振るって大活躍という、そりゃあ働き者の(?)総帥様だってのにね。当家の主人と来た日には、癪に障れば問答無用で背中を蹴りの、気の利いた言いようへついて来れねば頭を叩はたきのと、それはそれは乱暴な扱いをするわ、このけだものが蟲妖がと斟酌ないまま口汚く罵るわ。そうまでの傍若無人な扱いへ、よくもまあ嫌ったり疎うとんだりすることなく、ずっとずっと律義にも寄り添い続けて下さるものだと、セナなどは葉柱さんの辛抱強さの方へと、感心することしきりだったりもするほどなのだが。
「あ…と。」
 こちらからもご挨拶をと、気安く話し掛けようとしかかったその声を、お口を手で押さえてまでして控えたセナだったのは。その傍らへと歩みを進めるうち、やっと見えて来た“もう一人”に気がついたから。声は控えたが足音はそのまま、とたとた板の間を鳴らしての速足で近づいて。こちらさんは早春向けの襲
かさねも愛らしい、袷に袴という装いの、せっかく綺麗に入りたる、裾の折り目を構いもしない勢いにてにて、葉柱の傍らへと素早く屈むと、
「…この子。」
 小さな小さな、ちょこっと嬉しそうなお声で囁く。というのが、半ば投げ出すように崩していらしたその脚の、膝の上、腿の辺りへと、丸くなった小さな仔を乗っけておいでの総帥様であり。白地に黒ぶち、手入れなぞされてはいない筈なのに、案外ときれいな毛並みの小さな体を丸ぁくしている彼こそは、昨年の春先からこの館にちょくちょく出入りしている、野良で雑種の一匹の仔猫。さすがに…野良の相手なればこそ、そうそういつもは見かけなかったし。寒くなってからは尚のこと、どこのお屋敷の縁の下へと潜ったか、無事でいるのかしらと時々心配したほどに、全く姿を見なくなっていたものだから。久し振りに、しかも無事なまま、こうして現れてくれたのへ、セナの口許も自然とほころび、
「大きくなりましたねぇ。」
「そうかな。片手に乗りそうだが?」
「それは、葉柱さんの手がずんと大きいからですよう。」
 よっぽど安定感があるのか、それとも陽当たりのせいもあって暖かいのか。葉柱のお膝でくうくうと、目元に糸を張ってそれは心地よさげに眠り続けている彼であり。起こしては可哀想かなと、そうと案じて声を押さえたセナだったのだが、
「案外と起きないものだな。」
 葉柱はさして声を押さえてもいない。まま彼は人間よりもずっと自然界に近い身であり、むしろ大地や大気の化身のようなもの。こうも張りのある深い響きのお声も、この子には風のそよぎ、せせらぎの囁き、そんな感じに聞こえるのかも知れずで、
「蛭魔が蔵の方へ退
いてからだから、もう小半時にもなるのにな。」
 ひょこりと現れ、庭先の陽だまりをうろうろしていたものが、何とも気安く近づいて来ると、そのままお膝に乗っかり、それからは…時折つつこうと撫でようと、お構いなしに眠り続けているのだそうで。

  「………。」
  「………。」

 交わす会話も途切れてそのまま。言葉もないまま、じっと見つめる。小さな生き物のささやかな重み。よくよく見ればお腹あたりが、微かに微かに上下していて。小さな小さな“生”のそんな存在感が、何ともかんとも擽ったい。やっと明けようとしている長かった冬と、でもまだ春と呼ぶには早いんじゃないかと言いたげな、どこか冷たい風が時折 立っては、彼らの鼻先をからかうように吹きすぎてゆき。気まぐれな端境期ならではな、風の小意地の悪さに焦れながら。でもでも、そんな苛立ちの気配が届くのか、仔猫のお耳がふるふるっと震えたりすると、ああいけないってついつい口許を押さえたり。
「ふや…。」
 見ているこちらも、同じ陽の下、ぽかぽかとあたっているからか。髪やらうなじ、小さな肩が、いつしか ほわほわと温もってきて暖かくって。そぉっと屈んでいたものが、お尻を落として並んで座り、それから…ついつい。あまりの暖かさと静かさに、とろりと意識がほどけても来たらしきセナくんで。
「おや…。」
 それへと気づいて…おやおやと、苦笑をこぼした総帥様。お舟をこぎ始めた書生くんへも、転げぬようにと腕を伸ばせば、その手に先んじて…頽れかけた小さな身を受け止めてしまった別の手があり。
「…お。」
 視線を上げれば、顔見知りの凛々しき武神様が、その懐ろへと書生の坊やを収めつつ、真顔でこちらを見やっていて。一体いつの間に現れたやら、何か言いたげにも見えたもんだから、
「いや、別にちょっかいは出してないから。」
 言えば、向こうもそこまでは案じていなかったらしくって。こくこくと頷き、そのまま自分の主人を懐ろに抱えて、立って行ってしまったけれど。
“…ああ、しまったな。”
 この子も連れてってほしかったな。あの武神様ならば、小さなセナへと接するのと同じよに、結構要領よくあやしてくれたかも。何しろ、此処で待っているということは、

  「いい度胸の猫だよな、そいつ。」
  「………お早いお帰りで。」

 わあ、選りにも選ってこんな間合いに帰って来なくてもと。彼の気まぐれや神出鬼没には結構慣れている筈が、久々に背条が震えたほどに どっきんと飛び上がりかかった蜥蜴の総帥。セナと進とが立ち去ったのとは反対側から、そりゃあ静かに、音無しの気配無しにて。こっちの背中へその胸が張りつくほどもの、超接近を遂げていた術師様であったりし。葉柱の大きな肩口へと腕を回して顎先を乗せ、ふ〜んとこっちの手元を覗き込んでる、その
穏やかさが…滅多にはない穏やかだからこそ妙に怖かったりするのだが。

  「…そんなまで警戒せんでも良かろうが。」

 お前、俺のことをよっぽどの暴れ者だと思うておるな。そうは言うが、先にもお前、庭先に来ていた雀へと俺が穀粒をやっておったら、片っ端から蹴散らしたではないか。前例があるからこそ、どうしたものかと警戒したのだと言い返せば、
「静かにしてな。」
 起きるぞと強引に黙らせて、分の悪さを明らかに誤魔化した術師殿だったりし。
“この野郎が…。”
 相変わらずの強引さへ、やっぱりそう来るのかよとムッともしたが。強引で勘気の強い彼だのに、今日は珍しくも…眼差しがやさしい。葉柱の膝を独占している、小さな不法侵入者の大胆な専横ぶりへも、日頃の彼であるならば、誰に断ってとか言い出すところが今は。どこか擽ったそうな、まろやかな視線を落としているばかりであり、

  “………。”

 春の陽の儚さのせいだろか、白い横顔は意外なくらいに線が細くって。その玲瓏たる佇まいの何とも繊細であることか。倭国の人にはまずはなかろう、金絲の髪が淡くけぶり。金茶の瞳がどこまでも陽に透けていて、正しく上等な玻璃のよう。
“人に非ずは俺の方だってのにな。”
 背中へとおぶさりかかる痩躯の、何とも軽やかで頼りないことかと。それを思うと、
“………。”
 今度は急に何となく、不安になってしまった総帥殿。いつぞやのように消えはしないかとでも思ってか、肩に巡らせた腕の先、こちらの胸元へと降ろされていた白い手を、大きな手のひらが包み込む。


  ――― どうしたよ。
       …ん。
       何か思い出したんか?
       うん…。


 お膝には、小さいけれど確かな命。背に負うたは、この手を勝手に振り払えもする、気まぐれなところもやはり愛しい…やっぱり命。どちらも儚く温かで、そして だから、どちらも切ないくらいに愛惜しくって。

  “…いいのかねぇ。俺みたいのがこんなにモテちまって。”

 おやおや、しょってますねぇ。ええ、小生意気なのをちょうど一人…ってですか?
(笑) まだ少し、春と呼ぶには早い空。そのうち紫が濃くなって、どこもかしこも晴れ晴れと暖かくなるから。それまでのあと少しだけ、こうやって身を寄せ合うのも良いんじゃない? やわやわと頼りない、仔猫の毛並みを撫でる白い手が、慣れてないからか おっかなびっくりなのが可笑しくて。でもって笑ったら…頬を思い切りつねられて。相変わらずにごちゃごちゃやってる、相変わらずな人たちなようでございますvv






  〜Fine〜  06.3.10.


  *ウチの看板は“進セナ”の筈なんですが。
(苦笑)
   少しは自制した方がいいのでしょうかと、ノリがよすぎる“ルイヒル”三昧。
   今回は単なる風景ものの一幕でございましたvv

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